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瀬名秀明の課外ゼミ[flight]+東北大学キャンパス散歩

2008年04月10日

東北大学大学院 医工学研究科 発進

この4月から、東北大学に新しい大学院「医工学研究科」が発足しました。
工学から医学や生命科学に迫る、全国的にも画期的な研究科。もちろん機械系だけでなく電気系など他の工学分野からも進学できますし、医学や薬学、農学、保健など、多彩な学部からの進学が可能です。

ウェブサイト「瀬名秀明がゆく!」の新年度大型企画として、4月11日更新からこの医工学研究科を取り上げます。「橋渡し」研究の最前線として、いま大学院にいる学生さんやこれから研究者の道へ踏み出そうとしている人たちにも参考になるところがあるはず。例によって私がテープ起こしから原稿書きまでやっています。ぜひご覧下さい。
posted by 瀬名秀明 at 15:09 | TrackBack(0) | 読んで書く、書いて読む

2008年03月17日

ふたりで紡いだ物語

本日はJAXAの会議に出席し、サイン本をつくり、インタビューを受けて、帰りにオアゾの丸善に寄って、『Every Breath』が置かれていることを確認してきました。文芸書のコーナーに自分の新刊を置いていただくのは、やはり科学ノンフィクションの新刊を出したときとは異なる心の昂揚感があります。科学ノンフィクションの場合はなんというか、ほっとするのだけれど、小説の場合は書店や読者の皆様からこちらがパワーをいただいて、後押しされる感じ。

帰りの新幹線では米沢富美子さんの『二人で紡いだ物語』を読む。次回の課外ゼミのお題なのです。女性研究者の半生記。『Every Breath』と重ね合わせ、久保杏子という女性の生き方・愛し方を改めて作者の自分が知った気がしました。
ゼミの議事録はいま2回分を校正中なので、しばらくしたら相次いで公開できると思います。

4日のサイン会の情報は、詳細わかり次第お知らせします。
posted by 瀬名秀明 at 20:01 | TrackBack(0) | 読んで書く、書いて読む

2008年03月15日

ラジオドラマ後編、放送しました

そんな合間にも文庫のゲラを直し、終わったらすぐさま続けて新しい本のゲラに取りかかります。えー、どこかにここ10年間の詳細なロボット年表ってないだろうか。何月にどこが何というロボットを発表して、こんなイベントがあったとか。自著『ロボット・オペラ』に書いていないことはもう調べられないというこの現実……。

東北大学機械系「瀬名秀明がゆく!」も今年度の更新は本日で終わり。シリーズ19からはすべて私が自分で原稿をつくっているのですよ(ただしシリーズ21は再録)。ええ、テープ起こしからすべて私がやっています。もう大サービスです。
最新シリーズの「若手ロボット研究者がゆく!」はおかげさまでとても評判がいいようで、嬉しい限り。ぜひ読んでみて下さい。
posted by 瀬名秀明 at 00:04 | TrackBack(0) | 読んで書く、書いて読む

2008年03月09日

こういうときって他の人はどうしてるんでしょ。

 テープ起こしをして、原稿を書いて、人と会って、本を読んで、の毎日です。先週は8年ぶりに日本SF大賞のパーティに出席し、東京航空局へ行ってパイロット免許書き換えの申請。

 で、そんな合間を縫って、劇団アグリーダックリングの公演「箱師よ、その町の暁に釘を打て。」を観てきました。現代版の『箱男』というか、なるほど明日が来るからあの箱はアスクルだよねとか、いっしょに行った編集者と帰り道で話しました。おもしろかったです。体調がいまいちだったのですが、観たら治ってしまいました。

 学生さんたちとやっている課外ゼミとお散歩ツアーの原稿も、そろそろ今年度分をまとめないと。
posted by 瀬名秀明 at 23:16 | TrackBack(0) | 読んで書く、書いて読む

2008年02月05日

祝・『ミトコンドリアが進化を決めた』大ヒット!




 昨年末にみすず書房から刊行されたニック・レーン『ミトコンドリアが進化を決めた』は、おかげさまでベストセラーを驀進中です。私もオビ推薦文を書かせていただきましたが、それよりも尋常とは思えないほど力の籠もった(?)田中雅嗣先生の解説文が効いたのでしょうね。
 そのオビにタイトルが出ている拙書『ミトコンドリアのちから』(新潮文庫)も、昨年夏の刊行以来、堅調に売れてきましたが、ここへきて『ミトコンドリアが進化を決めた』の波と、太田成男先生の水素水研究が注目されてきていることもあって、順調に回転している様子。

 ニック・レーンは丹念に学術論文を読み込み、そこから大胆な空想や発想を働かせて、現在ではまだ決して真実とはいえないがわくわくするような科学のロマンを描き切ったのだ、と評価することができるでしょう。
 一方『ミトコンドリアのちから』は、今後10年間ではまず覆ることがないであろう科学の事実を積み重ねてゆくことで、科学の迫力とロマンを描こうとしたのだ、といえましょう。
 ぜひ両方を読んで、ふたつのロマンを堪能していただきたいと思います。ロマンの描き方は対照的でも、どちらも科学の面白さを描いていると信じています。

 特に瀬名の本を小説しか読んでいないという方には、ぜひ『ミトコンドリアのちから』をお薦めしたいです。これは一貫して抑えた筆致で書いていますが、その情熱と内容はニック・レーンにひけをとらないと信じています。私の科学ノンフィクションの中ではもっともよい出来だと思いますので、ぜひここから入っていただければ嬉しいです。
 旧版『ミトコンドリアと生きる』をお持ちの方も、ぜひ再読を。全体の8割は新原稿ですので、後悔させません。

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posted by 瀬名秀明 at 03:11 | TrackBack(0) | 読んで書く、書いて読む

2008年01月28日

ロボット文化を知るための基礎文献はこれだ!

ロボット文化を知るための基礎文献は、なかなかウェブ上では見つけることができません。
以下にリストを掲載しておきます。参考になれば幸い。

●ロボット文化全般を知るなら、
井上晴樹『日本ロボット創世記』NTT出版、1993
井上晴樹『日本ロボット戦争記』NTT出版、2007
Isaac Asimov, Karen Frankel “Robots: Machines in Man’s Image” Outlet, 1987(邦訳版の『ロボットの世界』仙名紀訳、東急エージェンシー出版部、1986では原著の膨大な写真資料が省かれていることに注意)
Jasia Reichardt “Robotics: Fact, Fiction + Prediction” Thames & Hudson, 1978
(上記書籍はいずれも多数の図版を収録している)

●特にサイバネティクス分野について知りたいなら、
パトリシア・S・ウォリック『サイバネティックSFの誕生 ギリシャ神話から人工知能まで』斉藤健一訳、ジャストシステム、1995(原著1980)

●空想物語に出てきたロボットの技術について、マニアックな視点での解説を読みたいなら、
「特集 小説・漫画・映画に登場した先端科学技術」計測と制御、Vol.43, No.1, pp.2-77, 2004
以下の解説記事を掲載
金子隆一「科学技術の予見社としてのSF その実態と機能」pp.2-7
岩田敏彰「AMBAC [Active Mass Balance Auto Control (System)─手足の運動を利用した方向制御機能─]」pp.8-9
松井俊浩「SFロボットのビジュアルなヒューマンインタフェース─機動戦士ガンダムとマルチメディアディスプレイ─」pp.10-14
鈴木隆文「神経接続技術の現状と未来」pp.15-20
杉原知道「ドラえもん〜ロボットらしく、ロボットらしくなく」pp.21-23
松原仁「人工知能・知能ロボット・SF(小説、映画、アニメ、漫画)」pp.24-28
大山英明、阪口健「エンタテイメント作品におけるロボットの操縦方式」pp.29-37
前田太郎「パワードスーツのサイエンス:創作と制御の狭間で」pp.38-45
野田篤司「SFとロケット/宇宙開発」pp.46-51
坂村健「『電脳都市』2」pp.52-58
廣瀬通孝「バーチャルリアリティ(VR)とSF」p.59-64
金子邦彦「人工生命、SF、普遍生物学」pp.65-68
出口弘「SFに見る「社会/歴史シミュレーション」」pp.69-77

●アイザック・アシモフの「ロボット工学の三原則」について、現時点でもっともまとまった論考は、
瀬名秀明「「ロボット学」の新たな世紀へ アシモフ〈ロボット工学の三原則〉の受容と発展」(アイザック・アシモフ『われはロボット[決定版]』小尾芙佐訳、ハヤカワ文庫SF、2004(原著1950)所収)
中島秀之「知能を持つロボット──知能 ロボットの心はプログラムできるか」(けいはんな社会的知能発生学研究会編『知能の謎 認知発達ロボティクスの挑戦』講談社ブルーバックス、2004所収)
(残念ながら海外では興味を惹かれる論考がない)

●ロボット小説アンソロジーの決定版は、
Isaac Asimov, Martin H. Greenberg & Patricia S. Warrick ed. “Machine That Think: The Best Science Fiction Stories About Robots & Computers” Holt, Rinehart & Winston, 1984
瀬名秀明編著『ロボット・オペラ』光文社、2004

●ロボットSFアートを概観したいなら、
野田昌宏『図説 ロボット』河出書房新社、2000

●ロボット文化の年表は、
井上晴樹・永瀬唯作成の年表(『鉄腕アトムの軌跡展』朝日新聞社、2002図録所収)
大山英明、前田太郎、アービン・アガー、舘すすむ「テレイグジスタンス/テレプレゼンス・ロボット:SFから研究開発へ」(ワールドコン2007瀬名企画にて発表)
posted by 瀬名秀明 at 14:29 | TrackBack(1) | 読んで書く、書いて読む

2008年01月25日

PaPeRoと2010年の未来

 1月13日、「PaPeRoアプリケーションチャレンジin仙台」のアイデア発表会が、せんだいメディアテークで開催されました。ご来場いただいた皆様、ありがとうございます。
 すでにRobot Watchにも記事が出ていますね。
→「「PaPeRoアプリケーションチャレンジ in 東北」アイディア発表会開催〜仙台から発信する、2010年のPaPeRoのお仕事とは?
「ロボコンマガジン」誌の次号にも取り上げていただけるとのこと。

 今回のコンテストは、おそらくロボット研究者主体のシンポジウムではまずお目にかかることのできない発表が目白押しで、ロボット文化を広げる試みとしてはとても意義のあることだったのではないかと思います。
 まず重要なのは、PePeRoが人間と共存する2010年のアプリケーションを思い描いてください、という課題そのもの。遠い未来の空想を語るのではなくて、まさに「あしたのロボット」を発想するわけです。実はこれがいちばん人間にとって難しいことは、「愛・地球博」をはじめ、これまでのロボットイベントが如実に示してきた通り。
 このコンテスト、ワークショップ部門と一般部門に別れていて、一般部門はアイデアを書類に記載して提出、そこから普通に審査するわけですが、おもしろいのはワークショップ部門。かならず3人以上のグループでエントリーして、月に一回仙台のNEC東北でワークショップに参加しなければなりません。そこで実際にPaPeRoを見て、みなでアイデアを練り込んで、発表会に備えるわけです。発表準備の費用も主催者側が用意するので、多くのチームが流麗なフラッシュムービーやパンフレットなどをつくって審査員にアピールします。

 発表会では、寸劇をやってみせるチーム、実際にPaPeRoと会話してみるチームなど、皆が壇上で工夫を凝らします。おしゃれなフィラッシュムービーや寸劇でロボット共存社会の有用性を語るという発想自体が、まずいままでのロボットイベントからすると型破りなはずで、こんな発表の仕方もあったのか、とロボット研究者はびっくりしたかもしれません。
 参加したチームは医療・福祉・経済などの学生さんや一般社会人がほとんどで、ロボットを実際につくっている人たちではありません。つまりロボットの機構とか、PaPeRoに何ができて何ができないのかといった、具体的な技術の限界と可能性も、大雑把にしか出場者には伝えられていなかったはずで、これも斬新な試みだったと思います。ロボット研究者なら技術の限界を見据えた上で未来を想像するでしょう。しかし今回のコンテストで発表された未来像は、医療・福祉・経済などをまさにいま学んでいる学生が、ロボット工学とは違った立場で想像したものです。
 たとえば、豪華客船の各客室に執事PaPeRoを置いて、船内のイベントをエスコートしよう、というアイデアが出ていました。図書館に来た小さな子が、PaPeRoと対話しながら好きな本を探し、本棚までいっしょに歩いて行き、その棚の前でさらに別の本を探すというストーリーを描いたチームもありました。このふたつが優秀賞として賞金30万円を獲得しています。
 ロボット研究者なら「技術的に古い」「すでに検討され、捨てられたものである」というところかもしれません。他のチームの発表も「夢物語に過ぎる」というものがありました。この期待像のギャップをあぶり出せたことそのものが、今回のコンテストの成果だったのではないでしょうか。図書館のアイデアにしても、小さな子がPaPeRoと会話するときは、まず顔や会話で相手の認識させておいて、いざ貸し出し履歴を調べるときは子どもにIDカードを提示させてPaPeRoに認証させる、というディテールが組み込まれていました。セキュリティ問題に新しいディテールを提示しています。このあたりのリアリティはロボット研究者にとっても注目できるところでしょう。豪華客船にしても、そういう非日常のセレブ空間でロボットを使うという発想がいい。
 残念ながらロボット研究者を唸らせるほどのアイデアを出してきたチームはいませんでしたが、それでも発表にムービーや寸劇といったストーリー性を持たせたことによって、生活に根ざしたディテールが冴える結果となったわけです。ここはロボット研究者が見落としがちなところで、違和感を含めインパクトのあったところでしょう。

 一般部門ではPaPeRoのかわいいキャラクターに着目して、そのキャラクターがついた携帯電話を販売し、その携帯電話の中にPaPeRoというキャラクターを登場させて、メール作成や地図検索などを手伝ってもらうというアイデアが優秀賞を獲得しました。これなどPaPeRoがロボットである必要性すら稀薄なのですが、実際に開発できそうという点では一等でしたね。
 審査員もロボットの専門家でない方が多く、何を評価するのかという基準も含めて私にとっても新鮮な体験でした。
 ごくふつうにしかロボットをしらない人が、ロボットに対して何を思い描き、どんなディテールを語れるのか。今回のコンテストはその意味で、従来にないおもしろさを出せたように思います。

 このコンテストは継続して、きちんと先代の文化に育て上げてゆくべきだろうと思います。そのうち工学系の学生さんたちも参加して、互いの発表に違和感を持ち合い、議論が始まって、そこからよりよいアイデアが生まれてくるだろうと思います。そこまでやらなければならないでしょう。
 やがてロボットと人の共存社会が来たとき。「ああ、この共存のアイデアは仙台が発祥の地なんだよ」といわれるようになれば嬉しいですね。
 今度も「PaPeRoアプリケーションチャレンジin仙台」が続くことを期待しています。
posted by 瀬名秀明 at 20:35 | TrackBack(0) | 読んで書く、書いて読む

2007年12月27日

2008年はラジオドラマから

新作長篇小説『Every Breath』関連のプレスリリースは、年が明けてから出るようです。ラジオドラマについての詳細もそのときにわかるそうなのでしばしお待ちを。

今年は小説の新刊が出せなかったのが残念。来年は小説本を複数出すことと、日本の空で飛ぶことが目標。すでに無線と法規の国内試験は合格したので、あとは免許の書き換え。飛行免許の話については「小説宝石」のエッセイ連載をまとめて本にします。
その他、来年はエッセイ集やノンフィクションも何冊か出るはず。
JAXAや「今年のロボット大賞」などにも関わりましたが、そういった公の仕事とは別に、学生との課外ゼミ活動など、少しずつ大学からの新しいアウトリーチ活動も進めていきます。

それでは、よいお年をお迎え下さい。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
posted by 瀬名秀明 at 13:50 | TrackBack(2) | 読んで書く、書いて読む

2007年12月20日

課外ゼミ[flight]の議事録公開

今年から少しずつ進めていた、課外ゼミ[flight]の議事録を公開しました。まずは8月に開催した『二重らせん』の読書会から。

瀬名秀明の課外ゼミ[flight]+東北大学キャンパス散歩

今後も順次掲載していきますが、あくまで趣味の活動なので、時間が空いたときに記事をつくります。ですのでまったりとお待ちいただければ幸いです。
posted by 瀬名秀明 at 09:33 | TrackBack(1) | 読んで書く、書いて読む

2007年12月02日

Every Breath

 お待たせしました。次の小説は『Every Breath』(仮)という恋愛ものが刊行される予定です。ひとりの女性の99年にわたる生涯を描いた話ですが、いくらでも長くできてしまうのでなるべく切りつめて切りつめて書いてみました。一晩の呼吸で読めるように。
 恋愛ものとはいえ、実は近未来より先の未来について小説で書いたのは今回が初めてですし、なかなかチャレンジングな内容になったのでは。自分では気に入っています。
 まずはラジオドラマ化されるようですが、詳しいことがわかりましたらまたお知らせします。
posted by 瀬名秀明 at 02:22 | TrackBack(2) | 読んで書く、書いて読む

2007年12月01日

「仙台学vol.5」原稿

『仙台学vol.5』が発行されました。しかし私の原稿二編は収録されていません。以前にこのエントリーを記した約一週間後に、編集プロダクションの有限会社荒蝦夷よりメールが入り、すでにゲラ校正まで済ませた私の原稿を掲載しないと通達してきたのです。
もちろん編集権は編集部にあるわけですが、お仕事のひとつを公的に批評されたからといって別の原稿まで有無をいわさず削除する編集方針には大きな疑問を感じました。それまでこの有限会社荒蝦夷さんには、新人スタッフの原稿チェックなどを一年以上にわたって私が続けてきました。毎週数時間の原稿の書き直しを無償でおこなってきました。他にも彼らを信頼するかたちで共同作業してきた仕事がありましたが、すべて信頼しすぎたあげくに結果を出せない状況に陥りました。それがたった一回、ウェブのブログで意見を表明したらこの有様です。

掲載されない旨を通達してきたメールを受け取った直後、私は「掲載されないなら原稿料は要りません」と伝えました。しかし実際はその日のうちにごくささやかな金額がまるで手切れ金のように振り込まれていました。私は困惑し、説明がいただけるのを待っていましたが叶わず、一カ月後に問い合わせたところ「手違いでした」というメールが戻ってきました。私は振り込まれた金額を返却しました。

ここに私の原稿二編を公開します。現在『仙台学』に収録されているものと比べてどちらがクオリティが高いか、読者の皆様にぜひご判断いただきたいと思います。

仙台学コメント原稿

 取材を終えて、おしかホエールランドの近くの食堂でクジラ定食を食べているとき、須藤さんが少し考え込んだ後にこう呟いた。
「大きいなって思いました。どこも、博物館に展示するには」
 人は記憶を風化させないために何かを建立し、その姿を多くの人と共有しようと願う。ミュージアムがときに重く苦しい歴史を展示しようとするのはそのためで、ワシントンDCのホロコーストミュージアムや広島の平和記念資料館は人を厳粛な気持ちにさせる。
 津波の被害はまた明日にでも起こるかもしれない。唐桑半島ビジターセンターが語り継ごうとする自然災害は、多くの人にとって遠い記憶となりながらも、確かに現在から未来へと続いている。だからこそ開館当時の最新技術で再現される津波の体験が、却って一時代に縛られてしまっているようにも思えた。災害という記憶は一時のVR技術には大きすぎるのだ。そのことは職員もよく理解しており、今後の展示内容の発展が楽しみでもある。
 気仙沼は決してサメで町興しを願ったのではない。サメがよく捕獲されるから、それを利用してミュージアムに仕立てたに過ぎない。だからこそ逆に現在進行形の躍動が感じられる。市場という「動き」の大きさを、あえてすべて呑み込もうとせず一部に留めた度胸が嬉しかったのである。
 大きい、というその言葉が胸に染み込んできたのは、定食を食べていた場所がかつて賑わいを見せたクジラの解体場の跡地だったからだ。クジラは頭だけでこの部屋の二倍くらいあったんだよ、と女将さんが話してくれた。おしかホエールランドのシアターで、私たちは「TOMORROW」と題された3D映画を観た。しかし具体的な明日の希望は描かれず、小綺麗な映像で物語は終わっていた。博物館の建設を請け負った企業にとって、鮎川の歴史は大きかったのだろうか。
 次に来るときはホエールランド自身の鼓動をもっと聴いてみたいと願った。録音された音ではなく、生身の動きを。施設をはみ出すほどの大きさのリアルを。
(原稿用紙約2枚、826字)
2007年6月17日送信。連載第二回のコメント原稿だが、今回は連載そのものが掲載されていない。

仙台学5号 鎌先温泉原稿

 午後二時に泉中央の事務所を車で出て、東北自動車道に乗った。一時間くらいで着きますよという編集者の言葉を計るように、ひとりで白石のインターチェンジまで走った。昨日の雨は去って初夏の陽射しがフロントガラスの向こうに満ちつつあり、いつも飛行機を操縦するときにかけているサングラスに眼鏡を変えてアクセルを踏んだ。きっとこの二日間は眩しくなるだろうと期待して持ってきたのだ。
 白石インターを降りるとすぐに小さな看板を見つけた。それに従って右折すると、すぐに細く曲がる農道になった。木々の緑が急に近づいた。途中、不意に両翼に田圃が広がる長い一本道へと出た。その直線をゆっくりと通り抜けてゆくとき、反対側から数人の女子学生が歩いて来ているのに気づいた。擦れ違うとき、彼女たちの時間が、ふっと車内に残り、ハンドルから両腕へ伝わってから、ゆっくりと消えていった。
「最初の案内板で右折してしまったでしょう。そうすると農道を走ることになるんです。ふたつめの信号の案内板で曲がればわかりやすいんですが、やっぱり最初に見た看板で曲がるのが人情ですよね。ああいう交通案内板は、いちど立てたらよほどのことがない限り撤去できないらしいんです。それに昔は「鎌先温泉」じゃなくて「南蔵王」だった。そんな場所はないんだから書き換えてくれと頼んでも簡単にはいかない」
 一條旅館の館主は代々「一平」という名を継ぐのだという。ロビーラウンジ「都路里」で初めてお会いした一平さんは、ホテルマンの落ち着きと気配り、包容力を持つ人だった。話をしているうちに一條さんが私よりひとつ年下だとわかって少し驚いた。
 鎌先は不忘山の谷奧に位置する小さな温泉郷だ。橋の脇の空き地に車を止めると、町の中央の駐車場とそれを囲むように並ぶいくつかの旅館が手に取るように見渡せる。しかしすぐに、それだけが鎌先のすべてではないことに気づいた。一條旅館の案内に沿って右の路地を進むと急な傾斜になり、それを半ばまで上ったところで不意に大きな木造の建物が現れたのである。大正末期から昭和初期にかけてつくられたもので、ぐるりと周るガラスの桟と何本も延びる電線のコントラストがむしろモダンでさえある。坂道はこの建物へと続く空中の渡り廊下の下を潜り抜けて、一條旅館の玄関口まで続いていた。ちょうど出発してから一時間が経っていた。
「ぐるっと山のほうへ行ってみましょうか」
 一條さんに促されて再び外へ出た。別館の脇を抜けるとすぐに山の斜面だ。葉の茂る岩盤からは絶えず水が湧き出しているのがわかる。さらには栃の木の傍らを通って降りてくる渓流が、道の下を抜けて鎌先の谷のほうへと流れていた。一條の本館は川の上に建てられているのだ。
 別館の裏手には古い小屋が残っている。その先は山道だった。
「昔はこの小屋で湯花を乾燥させていたんです。以前の源泉から一輪車で汲んできて、機械で篩いにかける。すごく儲かるんですよね。ああ、そっちの神棚のようなところから清水が出ているでしょう。昔の鎌先の水です」
 足元を見れば小さなカエルの姿がある。私たちはそこから山道を登った。一條さんは小枝を折って手に持ち、それで蜘蛛の巣を払いながら先頭を進む。
「小さい頃はよくここで遊んでいました。獣道があると入ってみてね、キノコが植わっていたり。カモシカがいます。お客さんも見ていますし、うちの娘たちも、源泉の洞窟の上にいるのを見てますよ。こちらから行かなければ襲ってきません」
 杉林から竹林へと景色が変わってゆく。雲間から陽射しが注いで傾斜面におもしろい影をつくる。写真を撮った。
「タケノコがわんさか出てきます。これで二週間経っていない。出てきた瞬間からうわーって伸びていきますから」
 一條さんが枝の先で、細く長く空へと伸び上がった姿を示す。茶色の真新しい皮を被っているのですぐに見分けられる。
 二〇分ほどして広場へ出た。「天狗の相撲場」である。さらに上ると天狗山の山頂へと出た。松の枝振りの向こうに遠く山並みが見渡せた。
「もうちょっと日が翳ってくるといい風になるんです。朝も気持ちいい。小さい頃はさっきの相撲場でラジオ体操をしました。週にいっぺん、たいがいは下の駐車場でやるんですけれどたまにはって。上ってくるから、まずは深呼吸から始まる。朝六時半に始まるから、六時には上ってこないといけない。でも子供の頃はそれが楽しくてね。誰もいたずらなんかしない」
 いまは消えてしまったが、かつて天狗の相撲場の場所には実際に土俵があったのだという。一條さんは無意識に枝の先で地面をなぞっていた。ちょうど昔あった土俵の淵を丸くなぞるように。
 私たちは山を下りた。階段は急で、子供の身長ではきっとこの段差も大変だったろう。それでもきっと、子供の頃の一條さんは、それに不自由など感じなかったろう。
 別館まで着くと一條さんの奥様とちょうど出会った。娘さんを車で送るところだった。奥様は以前にテレビの密着取材を受け、「老舗旅館を救え〜新米女将の挑戦〜」というタイトルで放送されたことがあるという。
 本館と別館、そして木造別館と分かれる一條旅館の外観は、見渡す角度によってさまざまに印象が変化する。もしこの原稿が三〇枚以上のスペースをもらえるなら、ここを舞台にした短篇を書こうと私は思った。この一條旅館で近未来的な通信機器を使う若者の物語だ。わずかに歪んだ窓ガラスに遠い世界が映り、和室の中で操作する携帯電話には鮮やかな過去が起ち現れる。
 湯神神社の元にある源泉を見学してから、私たちはロビーに戻った。一條さんは金庫から「鎌先」の名の由来となった鎌を持ってきてくれた。木箱の中に収められたそれは、古く赤錆びた小さな手鎌だ。一四九二年に樵夫が喉の渇きを覚えてこの鎌で岩窟を掘ったところ水が湧き出したといわれている。
 さらに一條さんは、無造作に開封された封筒と一冊の本を机に置いた。封筒には几帳面な小さな字で「宮城県白石市鎌先温泉 一條旅館 御中」、下部には宮本常一の判があった。
 民俗学者の宮本常一は講演録『イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む』(平凡社ライブラリー)の中で、イザベラ・バードの旅に触発されたのかふと思い出したようにこんな話を差し挟んでいる。

 私が『日本の宿』を書いた時、宮城県の白石の西北にある鎌先温泉へ行ったのですが、そこの@一条@{ルビ:(ママ)}旅館でも同じで、実に親切にされて、二日間いたのですが、さてお金を払うとなると、すごく安いのです。そして「あなたのような方が泊まってくれるなら、ただでも良いんだ」というのです。

 封書の手紙は、この鎌先温泉で宮本常一が宿泊者名簿を調査した際の礼状だった。一條さんが父親から譲られた風呂敷の中に入っていたという。宮本常一はこの手紙の中で、何度も丁寧に礼を述べている。そして中山高陽の紀行集に貴館のことが書かれてあったので同封するとあり、彼自身が筆記したその該当部分の原稿も収められていた。古い原稿用紙のところどころに赤鉛筆で印がつけられていて、そういった記号がたちまちこちらの心を過去へと繋いでゆく。
「七時にお食事を用意しようと思います。その前にお風呂に入っていただいて、あとは迷子にならない程度に、浴衣でちょっと歩いてみてはいかがですか。一〇分前にお部屋に連絡させていただきます。瀬名さん、お酒は飲まれますか」
 あっ、と私は思った。嬉しくなってつい、はい何でもとつまらない返事をしてしまった。一條さんはそれをさらりと受け流し、笑顔でいった。
「ではせっかくですのでシャンパンを用意しましょう」

 鎌先温泉は傷や打撲に効用のある湯治場として有名だった。山形で林業を営む人たちも、近くに赤湯温線があるのにこちらへ来ていたという。やっぱりいい伝えられてきているものがあるのでしょう、と一條さんはいった。
 六月一一日月曜日。この日は仙台市内で熊谷達也さんと赤坂憲雄さんの公開対談がある。『仙台学』のスタッフは全員そちらへ行っているはずだ。だから私はひとりでこの一條旅館に泊まることを希望した。たったひとりで食事をして、そして原稿を書いて寝るのもいいと思っていた。
 けれどもそうではなかった。その夜私は一條さんと共に夕食を楽しんだ。
 坂を上がるとき最初に目に飛び込んできた古い建物は、いま「匠庵」として食事処になっている。松の廊下から少し歪んだ昔のガラス戸越しに鎌先の町が見下ろせる。そして小部屋の中はほんのりと淡く瀟洒な雰囲気に統一され、胡座ではなく椅子に座って懐石料理と向かい合う。よい演出だなと感じた。
「いまは坂道に車が列をつくってしまっていけない。山際から道を新しく造りたいんです。いずれは蔵をギャラリーにして、一條の歴史がわかるものを展示したい。その一階は素敵なバーに。「匠庵」で夕食を終えた後は、蔵で一杯二千円のカクテルを楽しんでいただく。鉄筋の新館も木造に建て直したいんです。少し歩いて、その不自由さを楽しんでいただきたい。全体を美術館のようにしてね」
 長年一條で働いてきたという女性が料理を運んできてくれる。彼女の立ち振る舞いや説明を一條さんは館主として見つめていた。かつては長期治療のために家族を連れて一條へやって来る人もいたという。「私は料理ができます」「私は字を書くのが得意です」そのような言葉を聞き入れて、一條旅館は日当を払ってその一部を宿賃とした。そして彼らが連れてきた子たちを学校へ行かせたという。いまは治療目的の滞在者は少なくなってしまったが、それでも常連の人が一週間ほど泊まるという。そのような人たちのために一條旅館では毎日違った料理を出す。三〇日間ずっと違う夕食を出し続ける。
 その日は湯葉の鍋だった。こうやって食べるんです、と一條さんは何も知らない私に手本を示す。一條さんと語り合いながら私はずっと、人をもてなす心について思いを巡らせていた。私は子供の頃からずっと小説が好きだった。もてなしの心に溢れた小説が好きだった。そして自分が書く側になって何年か経ったとき、私は自分の小説だけでなく、周りの環境をよりよく変えて読者をもてなしてゆく心も、作家にとって大切なのだと感じるようになった。
 その心はほとんどの読者には届かないのだ。一冊の本がどのようにして世に出ようが、その本がおもしろければそれでよい。しかし本屋に入り、棚を見渡し、一冊を手に取って帰宅し、そして充足の吐息と共に読み終え巻末の案内を見て次の本へと進む、それらすべてがもてなしであるはずだ。同業者からSF作家とは決して呼ばれることのない私は、いま科学者の人たちから特任教授の職をいただき、SFと名のついたその肩書きで科学と小説について語り、そしてSFの「場」をつくる仕事を静かに与えられ続けている。
 一條さんは鎌先温泉を盛り立てるためにこれまでやってきたことを語ってくれた。親から子への歴史、町をひとつにまとめてゆくつきあい、そして市や観光企業との交渉、もしかしたら私たちはそのようなことを考える年齢なのかもしれない。年月は同じ速さで過ぎてゆくが、ひとりひとりの時間には起伏がある。そのようなことを、ちょうど私や一條さんは考える時期なのかもしれない。

 翌朝、再び露店風呂に入り、私は九時半に支度を終えてロビーに降りた。
 朝から町内を飛び回っていた一條さんが、わざわざ見送りのために戻ってきてくれた。
「今日はこれからお仕事ですか」
「ええ。でもせっかくなので、少し車で回ってから帰ります」
「いいですね。遠刈田はすぐです。この季節、私はいつも車の窓を全開にするんです。とっても気持ちがいいんですよ」
 その言葉が車に乗るときの気持ちをつくってくれた。走り出す瞬間から私は心地よかった。
 飛行機で飛ぶとき窓は開けない。だが車なら開けることができる。
 窓を全開にした。車内と身体を通り抜けてゆく。「風を見たことあるかね?」で始まる坂口尚の詩を私は思い出した。道沿いの草は午前の光を浴びて満ち、不忘山の向こうでは積雲が上っていた。
(以上、約4900字=13枚)
2007年7月2日送信。たいへん急かされた原稿である。『仙台学vol.5』では、私のインタビュー取材をまったく度外視して、編集者による単独原稿が掲載されている。
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2007年11月19日

宙を描くもの

書き下ろし小説の執筆が切羽詰まっているわけですが、合間を縫って仙台市こども宇宙館の宇宙劇場に行ってきました。18年前に開館したこども宇宙館も今年の12月27日に閉館が決定しており、その後の業務は新・仙台市天文館に受け継がれます。
この仙台市こども宇宙館は拙作『虹の天象儀』のプラネタリウム番組を制作していただいた思い出深い場所ですが、閉館に伴ってプラネタリウム番組も今回の作品で最後。ということで「どうやってプラネタリウム装置は星空や番組を映し出しているか?」をプラネタリウム自身が語るという番組『宙(そら)を描くもの』が上映されているのです。
このような内容のプラネ番組は全国でもかなり珍しいはずで、その意味でも必見のプログラム。初音ミクが「初めての音は何でしたか?」と歌うとみんなウルウル来てしまうように、プラネタリウム装置自身が次々と自分の性能を説明してゆくこのお話は、なかなか萌え(燃え)るものがありますね。実は『虹の天象儀』関連の講演をやるとき、いつもプラネタリウムのセッティングの様子をわざわざ映し出してもらうよう頼んでいるのですが、まず基本の位置に惑星や恒星がリセットされて、そこから星々が一斉にその日の夜空へと散ってゆく動きは何度見てもわくわくします。今回の番組も、そういった「機械としてプラネタリウム装置のすごさを前面に押し出そう」という試みなのでしょう。
個人的な感想ですが、やはりプラネ装置そのものは実にロマンチックで見事なバーチャルリアリティ装置だと改めて実感しました。こども宇宙館の装置は「宇宙型プラネタリウム」といって、例えば土星付近から太陽の方向を見た光景とか、火星に立って見上げた星空なんかも映すことができます。プラネ番組ではこれにスライドプロジェクターの効果を組み合わせるわけで、今回の番組ではこちらのプロジェクターもかなり詳しく説明されていました。ただ、やっぱりスライドの表現力はプラネ本体に比べると平板なので、もしスライドプロジェクションの技術が今後飛躍的に発展したらすごいことになるのだろうなと思わせるものがありました。
ところで仙台市こども宇宙館のマスコットで、世界一の音声認識能力とコミュニケーション能力を誇るロボット「おとじろう」の行く先は、まだ決まっていないのだそうです。ぜひ新天文台に連れて行ってほしい……。

テレビ番組「報道特集」では、アンチエイジングの特集。『ミトコンドリアのちから』の共著者である日本医科大学の太田成男教授が、飽和水素水の研究成果を迫力ある実験データで示していましたね。いろいろ取りざたされることも多い水素水ですが、みなさまはこれをどう考えますか? 『ミトコンドリアのちから』でも水素水を取り上げましたが、その部分はかなり慎重に言葉を選んで書いています。いまこのテーマについて語ろうと思ったら、実にタフな「科学力」が求められると思います。

それでは原稿に戻ります。
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2007年10月30日

脳科学ひろば

 27日は台風。『脳研究の最前線』(講談社ブルーバックス)を読みながら、新幹線で東京・南青山の「スパイラル」へ。理研BSIの「脳科学ひろば」に参加です。
 理研BSIが10周年を迎えて、今年に入ってからたくさんのシンポジウムが開催されてきました(私も初期にはアイデア出しに参加、シリーズトーク2「脳と想像力」ではナビゲーターも務めました)。最初のうちはどうなることかと思っていましたが、シリーズトークも回を重ねるごとに参加者が増え、上下巻の本も出て、そして27日は台風にもかかわらず一日で700人を超える来場者があり、結果的にはとてもよい感じになったのではないでしょうか。「BSIラボ勢ぞろい」と銘打たれた展示室は、ほとんど世界の脳科学研究を一望にするようで壮観。
 私の出番は、佐倉統さん、池谷裕二さん、加藤忠史さん(理研BSIで鬱病とミトコンドリアの関係を研究)といっしょに、「ゆめみる脳科学地図」とこれまでのシリーズトークを肴とした公開トークセッション。
 会場で配っていた「脳のワンダーランドへいらっしゃい」というパンフレットは、とてもわかりやすくていい内容でしたね。

 28日はすっかり晴れ上がり、午前のうちに仙台へ戻って夕刊フジの原稿2回分を送り、そして29日まで家に籠もってひたすら小説宝石。今回は中国雲南省のインフルエンザウイルス発生?の地を行く水曜スペシャル川口浩探検隊風ドキュメンタリー。写真とキャプションも揃えて送り、無事に届いたとのこと。
 今週は講演があと3つ。楽しみですが、それぞれ話す内容が違うので、準備が大変。さらにクリスマスシーズンへ向けて懸念の仕事を少しでも進めなければなりません。

 ところで、いま発売の雑誌「ブルータス」で、ディーン・クーンツの詩を私が紹介しています。クーンツの子供向けの詩がきちんと紹介されるのは今回が初めてのはず。こちらに訳者の吉田美香さんによるコメントが掲載されています。
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2007年10月27日

KJPR2007

 10月から11月は講演会シーズンです。
 25日は松島の大観荘で「KJPR2007」に出席しました。日本と韓国のパターン認識の研究者が合同でおこなう研究会で、今年が二回目とのこと。発表はほとんどが英語です。私も1時間の講演で、研究会のタイトルにちなんでウィリアム・ギブスンの『パターン・レコグニション』や「初音ミク」の話を枕に、自著『BRAIN VALLEY』や『境界知のダイナミズム』など。ほとんどいままで知らない業界での発表だったのでご期待に添うことができたかどうかわかりませんが、機会を与えていただいたことに感謝します。
 他の発表では、映画『D-WAR』など韓国映画でCGを担当している会社ETRIのManjai Leeさんが惜しげもなく大量の映像を見せてくれていました。あとでバンケットのときに「いまCGでいちばん難しいのは何ですか」と尋ねたら、「もう大抵のものはできる。いまいちばんきついのは時間の制約」とおっしゃっていましたね。LeeさんはSF好きで、カードの『エンダーのゲーム』の話などでひとしきり盛り上がってしまいました。もうおひとりのキーノート演者であるHenry Baird教授も、子供のころにはクラークやスタージョンが好きだったとのこと。
 ちなみにBaird教授は企業研究者から大学研究者になられたとのことで、最初は新しい成果物を1から2年でつくっていたが、次には新しい技術を3から5年で発明する仕事に就き、いまは大学で基本的な「オープン・プロブレム」を5から10年で解決する仕事をやっている、と仰っていたのが印象的でした。

 26日は朝から小説宝石の原稿をばりばり進め、夜はジュンク堂の店員さんと「なんかんや」で食事。山形の芋煮や甘粕の塩鮭などを美味しくいただきました。

 27日は青山で「脳科学ひろば」に出席します。その模様はセカンドライフでもライブ放映されるとのこと。詳しくは理研BSIの藤井直敬さんのブログをご覧下さい。
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2007年09月30日

東北ルネサンスプロジェクトを批判する

東北芸術工科大学が「東北ルネサンスプロジェクトin仙台」と題して、仙台で3つの講座シリーズを展開しています。「赤坂憲雄対論[東北・知の系譜]」「小説家・ライター講座」そして「編集者講座」です。これは東北芸術工科大学東北文化研究センターが、「東北ルネサンスの理念の下、東北から日本を照らす芸術運動をめざして」開催されているものですが、実際の講座は当初の理念と大きくかけ離れたものであると感じるので、ここに私見を述べることにいたします。

私自身、「赤坂憲雄対論[東北・知の系譜]」の第1回で講師として話し、また昨日は「編集者講座」第1回の山森利之講師のお話を(自費で参加料を支払って)拝聴しました。
もともとこのプロジェクトは、「東北ルネサンス」の第2ステージとして、東北でさらに豊かな文化を花開かせ、また東北から作家や編集者を輩出することで文化環境のさらなる向上を目指して進められたものだと思います(ここに理念が記されています)。実際、この第2ステージ開始されるにあたっておこなわれた記者会見では、いま東北を拠点として活躍している作家の名が挙げられると同時に、もっと東北に根づいた編集者が必要だ、という訴えがなされました。地方の出版文化を豊かにするためには、地方でもっとよい編集者をたくさん育てなければならない。そのために編集者講座をつくるのだ、という発想に、私は強く共鳴しました。作家養成講座ならあちこちで開催されています。地元を讃える文化講演会もたくさんあることでしょう。しかし今回のプロジェクトでユニークだったのは、編集者講座をあえて開設したことだと私は感じました。おそらくは、有限会社荒蝦夷の土方正志さんのご尽力によるのでしょう。
これらの理念の根底には、東北芸術工科大学東北文化研究センターの赤坂憲雄氏による「ひとつの日本からいくつもの日本へ」という研究姿勢があったのだと思います。日本の文化はひとつに集約できるものではない、各地方の文化をそのまま起ち上げることで、日本の文化の総体がより豊かに見えてくる、という考え方だと理解していますが、私自身これらの姿勢には共鳴し、当初は成功を祈念していました。

このようなわけで、特に私が注目したのは、東北で編集者を育てよう、という試みでした。私はいま東北で原稿を書いています。もちろん中央の出版社・新聞社とのつきあいはいまでも多く、それらが主体ですが、同時に東北大学機械系特任教授に就任してからは地元の編集者と仕事をする機会が格段に増えたわけです。
しかし地元の編集者は、地方独特のしがらみにとらわれており、本来持っていると思われる力をほとんど発揮できていないのですね。新人も満足に養成できない、志が削り取られて、しまいには仕事のクオリティさえ落としてしまう、といった状況を何度も見てきました。地方の編集者でも中央の大手出版社に引けを取らない仕事を展開できないものか。彼らがもっと豊かに活躍できるような環境をつくりあげるにはどうすればいいのか。そこに作家は何ができるのか。この2年ほど、私にとってこのことが最大の課題となっていました。

「東北ルネサンスプロジェクトin仙台」は、仙台に拠点を置く「有限会社荒蝦夷」という編集プロダクションが実務を担当しています。しかし彼らは、一例を挙げると7月下旬に刊行するといって私たち作家から性急に原稿を取っていきながら、9月末のこの時点でもまだ『仙台学』を発刊できていない。そのことにについて何の連絡もできない。とうぜん原稿料も振り込めない。なぜかというと、この3つの講座を抱えているので、とても編集する余裕がない。すでにあった他の仕事のクオリティを下げて、昔からの知り合いであった赤坂憲雄さんのサポート仕事に絞らなければやっていけない状況が生じてしまったわけです。有限会社荒蝦夷の中心人物である土方さんはよい仕事をしてきたと思いますが、彼の意識が会社全体に浸透しているとも思えません。私自身、スタッフからは他の仕事を通してちょっと唖然とするような開き直りをこれまで聞いてきました。
それでも私は、彼らがこの「東北ルネサンスプロジェクトin仙台」でどのような仕事をなし得るのか、注目していました。彼らの理念はとてもすばらしいもので、応援したいからです。ところが、実際の講座は、当初の理念を達成できていると思えないものでした。
これらの講座に参加すると、有限会社荒蝦夷スタッフが会場の後ろにずらりと並んでいます。特に何かをしているようにも見えません。毎週のようにこんなことをやっていたら、確かに他の仕事はおろそかになってしまうでしょう。他の仕事の契約を軽んじても、昔からのつきあいである東北芸術工科大学にはスタッフを導入するその姿勢に、私は寂しさと悲しさを覚えるのです。司会進行もただ講師の略歴を述べ、会場から質問を募るだけ。誰でもできる仕事です。よりよい議論の場をつくろうという努力はまったく見られません。

つまり東北芸術工科大学が「東北ルネサンスプロジェクト」を推進することで、皮肉にもそれまで東北にあった編集文化の一部は、明らかにクオリティを下げ、衰弱してしまったのです。ただ講座をルーチンで取り仕切ることだけに労力がすべて持って行かれ、彼らが本来目指していたはずの豊かな東北芸術文化はむしろ被害を被りました。有限会社荒蝦夷は、結局のところ赤坂憲雄さんの下請け会社でしかなかった、その他の仕事には何の思い入れもなく、切羽詰まったら東北の編集文化の現場を投げ出してしまう脆弱さを抱えていた、ということが判明したわけです。そのような人たちが東北の編集文化などと唱えているこの矛楯は、喜劇ですらあります。では誰が勝利したか? 予算を獲得した東北芸術工科大学だけです。
毎回招聘している講師たちが、今後東北の文化との繋がりを持続させてゆくでしょうか。それらが有機的につながってゆくでしょうか。そういったことに対する主催者側の努力はなされているでしょうか。そのようには見えません。

「赤坂憲雄対論[東北・知の系譜]」で私は赤坂憲雄さんに、「いま本当に東北ルネサンスというのはあるのだろうか。あるとしたら、どのようなものか。赤坂さんはこのプロジェクトで何を目指すのか」と直接問い掛けました。しかし赤坂さんからのご返答は曖昧なもので、むしろ東北というこだわりを取り除きたいというお考えだったと感じています。対論にしてもその場のアドリブが重視され、全体の講座の理念などは二の次という印象でした。そもそも赤坂さん自身、「東北・知の系譜」というタイトルへの明確なヴィジョンをお持ちではなかったわけです。

昨日の山森さんのご講演「週刊誌をつくる」は、コンパクトにわかりやすくまとまったお話で、有用なものでした。週刊誌は個人の記事がつくるメディアである、というご指摘は特に示唆的で、重要であったと思います。
しかし、この「東北ルネサンスプロジェクト」は、ただ中央の作家や編集者を招いて、彼らの話を拝聴する、それだけでよいのでしょうか。地方の文化講演会はそういった性格のものが多く、そして聴衆もそれでほぼ満足してしまうものです。その意味では成功といえるでしょう。ふだんあまり聞かない話を聞いて啓発される、それだけでよいといえばよいのかもしれません。
ですが、「東北ルネサンスプロジェクト」が目指すものはそうではなかったはずです。いま主催者自身が最初の理念を忘れて、ただ中央の人を招聘して地方の人々に届ける、それで満足してしまいつつあります。本当にそれでいいのでしょうか。

仲間をつくること、そして中央の編集者ともつきあうこと、という山森さんのアドバイスは、これから中央ではなく地方の編集を担う若い人たちにとって有用だと感じました。また誰かにインタビューをするとき、怖いという感覚を忘れてはいけない、自分のことはすべて見通されるという感覚で臨むことを忘れてはいけない、というお話は、仕事の厳しさを伝えるものだったと思います。
また一方で、週刊誌をつくるために本当に必要な情報を持っている人は中央にしか存在しない、だから総合週刊誌は中央でつくられる、というご発言は、「いくつもの日本へ」という赤坂憲雄さんの理念に対して重要な一石を投じるものでした。
これらのアドバイスを、本当は主催者自身がいま謙虚に受け止めなければならない。

「東北ルネサンスプロジェクトin仙台」は、事務作業さえ混乱していることが見て取れます。開催スケジュールの告知ページは、ようやく一カ月前にできたという有様です。起ち上げ初期のころは、私が大学に直接問い合わせても要領の得ない答しか返ってきませんでした。
地方の文化活動って、こんなものなんでしょうか。

どのようにすればよいのか。
まず赤坂憲雄さんの「いくつもの日本へ」という数年前のスローガンが、いまでも有効であるのか、主催者側は自ら批判的に「東北ルネサンスプロジェクト」を推進する必要があるでしょう。赤坂さんと対談した限り、すでに赤坂さんは東北というこだわりを以前ほどは持っていないように見受けられます。その中で「東北ルネサンス」という表題を掲げることの意味は何かが問われます。
一方、東北ルネサンスプロジェクトへの出資者は、文字通り東北の文化発展を願っているのだろうと思います。ここに主催者側と出資者側の意識のギャップが生じています。あえて東北の文化にこだわらず、東北の人に刺激を与えるというだけのプロジェクトでも、それはそれで構わないと思いますが、それではふつうの文化講演会と同じ。出資者の要請に応えられているのか、主催者側は自己検証する必要があります。
実務を担当する有限会社荒蝦夷は、まずなによりも自社の体制を見直し、編集プロダクションとしてのクオリティ低下に歯止めをかけるよう努力するべきでしょう。中央から招聘した編集者と多くの議論をして、自らを啓発してゆくことを望みます。
本来「東北ルネサンスプロジェクト」は、理念のウェブサイトにも記されている通り、3つの講座だけでなく幅広い文化活動を目標としていました。講座に参加した人たちがこのような文化活動に関わり、そこから実際の編集・執筆を通して新しい文化を創出してゆく、そのような場をマネージしてゆくことが大切だと思います。講座に参加した人のアクションを支援できる東北の土壌を整備することです。講座をやりっ放しの現状では、とてもルネサンスとはいえません。

私は「東北ルネサンスプロジェクト」の理念を評価します。しかしながら、実際におこなわれているプロジェクトはお粗末なものだと感じるほかありません。今後の発展に期待するところですが、もっと参加者側からの意見を発信し、主催者側へ伝えてゆくことも大切だろうと思います。今後のプロジェクトの充実を願い、ここにひとつの批判として発信いたします。

*2007.10.15追記
ブログの読者の方から「東北ルネッサンスプロジェクトへのご批判というか叱咤激励されていることに、エールを送りたい」とのご感想が届いております。ありがとうございます。

*2008.1.25追記
関心の高いエントリーのようですので、続編のこちらにもリンクしておきます。
→「2007.12.1「仙台学vol.5」原稿
posted by 瀬名秀明 at 03:21 | TrackBack(0) | 読んで書く、書いて読む

2007年09月07日

作家と科学者は、対話できるだろうか

ワールドコン企画以降、パネルにご参加いただいた作家や研究者の方々から、刺激的なご提案をいただいています。

まず、作家のテッド・チャン氏とメールで話すことができました。彼は第一部のとき、客席から見ながら、なぜ作家たちは科学者からの問いかけに応えないのか、と不満を感じていたようでした。もちろんこれは私の司会進行の手際が悪かったことに原因があります。第二部の議論では、間接的ながら、作家たちは問いかけに応えていたと私は感じています。
しかしチャン氏の落胆は、おそらく壇上でのやりとりよりも、自分自身に向けられていたものだったのかもしれません。なぜ作家は科学者からの問いかけに応えられないのか、と、彼は自分自身にも問いかけていたのかもしれない、そう感じます。彼の誠意に感銘を受けた、とスタッフのひとりが私にメールで語ってくれました。
チャン氏からの呼びかけにより、これからパネリストとチャン氏との対話が進んでゆきそうです。それぞれの対話は各パネリストに委ねますが、大いなる実りとなることを期待しています。

またパネリストの研究者のひとりから、作家と科学者をつなぐネットワークコミュニティのようなものはつくれないだろうか、というご提案をいただいています。
これまでのSFコミュニティのあり方とはまた違った、物語と科学のコミュニケーションを築けないだろうか、ということです。もちろんここにはSF作家だけでなく、ミステリーやその他さまざまなジャンルの作家が集ってもよいでしょう。仲間内の愉しさだけではなく(それも大切なものではあるでしょうが)、大人のコミュニケーションをつくることができれば、それはこれからの物語と科学の関係にとっても有効でしょう。

むろん、作家がすべて、対話を好むというわけではありません。そんなものは不要、作家はただ作品を書くことにのみ集中すればよいと思う人も多いでしょうし、もともと仲間内以外との対話は苦手だという人も多いでしょう。作家すべてに必要だとは私も思いません。ただ、科学者との対話や議論に魅力を感じる作家は、これまで文学の世界では亜流・傍流とされてきました。しかしこれからはそんなことを考えなくてもよいのかもしれません。
ごく自然な対話や議論によって、少しばかり互いに豊かになれる。そして互いに明日の研究や創作に戻り、少しばかり以前よりもおもしろい仕事ができるようになる。そのくらいの豊かさこそが、本当の愉しさといえるでしょう。

少しずつ考えて、できるところから実現してゆきたいと願っています。継続してゆくことが大切なのでしょう。

私は12年前、『パラサイト・イヴ』でデビューしたとき、さまざまな批判を受けました。正直なところ、SFについて考えると、いまでも身体が震え、呼吸が苦しくなります。大袈裟ではなく、これは事実です。私にとってSFは持病となってしまいました。
私はずっと孤独であると考えていました。しかし12年も経って、実は時代も変わっていたのですね。
うまくいえませんが、そう感じました。
posted by 瀬名秀明 at 01:57 | TrackBack(0) | 読んで書く、書いて読む

2007年09月03日

お詫び

下のエントリーで、私は血迷ったことを書いてしまいました。申し訳ありません。

私がまず書かなければならなかったのは、何よりもご協力いただいたカフェ・サイファイティークの皆様や、5時間もの間ずっと喋り通しだった通訳の皆様、機材調整などにご協力いただきましたボランティアスタッフの皆様、この企画の場を与えていただきましたワールドコン実行委員会の皆様や日本SF作家クラブの皆様、そして多くの魅力的な企画がワールドコンでひしめくなか、足を運んでいただいた会場の皆様への感謝の言葉でした。遅れてしまいましたが、いまここに、心より御礼を申し上げます。企画進行中もこれら感謝の気持ちを一時とも忘れたつもりはありませんでしたが、いざ企画が終わり、いくつかの自分の不手際を知り、また思い直した時点で、ついネガティヴな言葉が出てしまったのでした。
12年前に『パラサイト・イヴ』でデビューしてからの、さまざまなことが想起されて、身体と心の制御がつかないまま文章を書いてしまったのでしょう。

今回の企画は、NTT出版様より刊行する予定でおります。まずは私がテープ起こしからはじめて、少しでもよい本にするようこれから努力したいと思います。
また不手際のあった部分は、これから少しでもフォローアップしてゆきたいと思います。自らの精進につとめますので、どうかご容赦下さい。

パネリストの皆様、特別ゲストの小松先生、パネル展示でご協力いただいた先生や、装置デモンストレーションのためにお出でいただいた皆様、皆様のおかげで5時間という長いシンポジウムを進めることができました。ご出演依頼に快くお返事をいただきましたこと、心から感謝を申し上げます。
本当にありがとうございました。
posted by 瀬名秀明 at 23:46 | TrackBack(0) | 読んで書く、書いて読む

2007年09月02日

ワールドコン企画ありがとうございました

ワールドコン企画にご参加いただきました皆様、ありがとうございました。またご協力いただきました皆様に感謝いたします。

私の力不足のゆえに、司会進行は不充分なものとなりました。ここで伏してお詫び申し上げます。私は研究者たちのパネルディスカッションに関してはそれなりの場数を踏み、どの司会者よりもよい司会ができると考えていました。しかしそれはうぬぼれでした。研究者の呼吸と作家の呼吸は、私が考える以上にはるかに異質なもので、それをコーディネートするのは難しいものでした。また私は研究者の皆様の時間配分を制御することはできず、現時点でウンターネット上には司会進行の手際の悪さを批判する声が出ております。また私の不手際ゆえに、海外作家の心証を害してしまいました。心からお詫びを申し上げます。もう私はSFとは関わりません。SF関係者の皆様に深くお詫びを申し上げます。しかしどうか海外作家の皆様は、日本を嫌いにならないでほしいのです。本来ならば作家という職業を辞してお詫びを申し上げるべきでしょう。私が全て間違っていました。申し訳ありませんでした。全ての皆様に心からお詫びを申し上げます。
許してはいただけないものと思います。本当に申し訳ありませんでした。心からお詫びを申し上げます。
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2007年08月05日

奇蹟のベストセラー

本には帯がついていて、いろんな人がそこに推薦文を書いている。
いい推薦文とは、どのようなものだろうか。推薦文とは実際に書いてみると意外に難しいものだ。
たとえば、いま手元に一冊の本がある。その帯の裏には3人の書店員による推薦文が書かれている。
「子供にも、大人にも、とっておきの名作であること、まちがいナシ!」
「胸の奥のどこかに何かがジワジワとしみ込んでくる不思議な一冊です。」
「少年の成長が、感動を呼ぶ。心の琴線に触れる傑作です。」
こう並べてみて、いったいこれが何というタイトルの本かわかるだろうか。
自分でこう書いてみてちょっと驚くのだが、たぶんほとんどの人はさっぱりわからないような気がする。『バッテリー』? 『IWGP』? 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』? 青春小説? 恋愛小説? 歴史小説? それともノンフィクション? 誰かの伝記? それさえもわからない。なんだか少年が出てくるすべての物語に当てはまってしまいそうだ。
実は帯の表には、ある作家の推薦文も載っている。こちらは少し中身に踏み込んでいるけれど、でも内容を的確に表しているとは思えないのだった。というのも本の中身はその推薦文の勘どころと正反対の位置にあるような気がしたから。
私たちはたくさんの本を読む。しかし出てくる感想は、いつも似たようなものだ。後に残るものは、もしかしたら他の本と簡単に代替できてしまう程度のものなのかもしれない。
でもぴたりと決まった推薦文を見たとき、とても清々しくて嬉しい気持ちになる。その本が特別なものになったような気がする。
振り返って自分のことを考える。さて、自分はかけがえのない帯推薦文を書けているだろうか。
posted by 瀬名秀明 at 17:56 | TrackBack(0) | 読んで書く、書いて読む

2007年08月03日

サーバ移転おわりました

ということで更新。

東北大学オープンキャンパスは盛況。私もあちこち見て回った。皆さん、ありがとうございます。
しかし説明してくれる大学院生さんから、「学部生さんですか?」といわれ愕然とする。最近、白髪があまりに目立つようになったので、人生で初めて髪を染めたのが、さらに年齢不詳になった原因かもしれない。

「瀬名秀明がゆく!」のサイトは、今月から記事の見せ方も変えて、いくらかリニューアルする予定。これからは私自身が原稿を書きます。

大阪のココルームで、浴衣でトークしてみたら意外と好評だったので、これから夏の講演は浴衣でやっていきたい。しかし夏祭りに行く時間が取れない……。花火があちこちで上がっているというのに……。

仙台ジュンク堂の「瀬名秀明書店」はおかげさまで好評のようで、品切れになる本もいくつか出ているらしく、追加で搬入してもらっています。

十数年ぶりに『二重らせん』と『ヘラクレイトスの火』を読む。やっぱり『ヘラクレイトスの火』はいい。私にとって人生の書だよ。いまは絶版なのか。信じられん。

開高健とか発作的に読みたくなる。南の島へ行きたい。だが原稿を書くのだ!
posted by 瀬名秀明 at 01:48 | TrackBack(1) | 読んで書く、書いて読む