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2007年09月30日

東北ルネサンスプロジェクトを批判する

東北芸術工科大学が「東北ルネサンスプロジェクトin仙台」と題して、仙台で3つの講座シリーズを展開しています。「赤坂憲雄対論[東北・知の系譜]」「小説家・ライター講座」そして「編集者講座」です。これは東北芸術工科大学東北文化研究センターが、「東北ルネサンスの理念の下、東北から日本を照らす芸術運動をめざして」開催されているものですが、実際の講座は当初の理念と大きくかけ離れたものであると感じるので、ここに私見を述べることにいたします。

私自身、「赤坂憲雄対論[東北・知の系譜]」の第1回で講師として話し、また昨日は「編集者講座」第1回の山森利之講師のお話を(自費で参加料を支払って)拝聴しました。
もともとこのプロジェクトは、「東北ルネサンス」の第2ステージとして、東北でさらに豊かな文化を花開かせ、また東北から作家や編集者を輩出することで文化環境のさらなる向上を目指して進められたものだと思います(ここに理念が記されています)。実際、この第2ステージ開始されるにあたっておこなわれた記者会見では、いま東北を拠点として活躍している作家の名が挙げられると同時に、もっと東北に根づいた編集者が必要だ、という訴えがなされました。地方の出版文化を豊かにするためには、地方でもっとよい編集者をたくさん育てなければならない。そのために編集者講座をつくるのだ、という発想に、私は強く共鳴しました。作家養成講座ならあちこちで開催されています。地元を讃える文化講演会もたくさんあることでしょう。しかし今回のプロジェクトでユニークだったのは、編集者講座をあえて開設したことだと私は感じました。おそらくは、有限会社荒蝦夷の土方正志さんのご尽力によるのでしょう。
これらの理念の根底には、東北芸術工科大学東北文化研究センターの赤坂憲雄氏による「ひとつの日本からいくつもの日本へ」という研究姿勢があったのだと思います。日本の文化はひとつに集約できるものではない、各地方の文化をそのまま起ち上げることで、日本の文化の総体がより豊かに見えてくる、という考え方だと理解していますが、私自身これらの姿勢には共鳴し、当初は成功を祈念していました。

このようなわけで、特に私が注目したのは、東北で編集者を育てよう、という試みでした。私はいま東北で原稿を書いています。もちろん中央の出版社・新聞社とのつきあいはいまでも多く、それらが主体ですが、同時に東北大学機械系特任教授に就任してからは地元の編集者と仕事をする機会が格段に増えたわけです。
しかし地元の編集者は、地方独特のしがらみにとらわれており、本来持っていると思われる力をほとんど発揮できていないのですね。新人も満足に養成できない、志が削り取られて、しまいには仕事のクオリティさえ落としてしまう、といった状況を何度も見てきました。地方の編集者でも中央の大手出版社に引けを取らない仕事を展開できないものか。彼らがもっと豊かに活躍できるような環境をつくりあげるにはどうすればいいのか。そこに作家は何ができるのか。この2年ほど、私にとってこのことが最大の課題となっていました。

「東北ルネサンスプロジェクトin仙台」は、仙台に拠点を置く「有限会社荒蝦夷」という編集プロダクションが実務を担当しています。しかし彼らは、一例を挙げると7月下旬に刊行するといって私たち作家から性急に原稿を取っていきながら、9月末のこの時点でもまだ『仙台学』を発刊できていない。そのことにについて何の連絡もできない。とうぜん原稿料も振り込めない。なぜかというと、この3つの講座を抱えているので、とても編集する余裕がない。すでにあった他の仕事のクオリティを下げて、昔からの知り合いであった赤坂憲雄さんのサポート仕事に絞らなければやっていけない状況が生じてしまったわけです。有限会社荒蝦夷の中心人物である土方さんはよい仕事をしてきたと思いますが、彼の意識が会社全体に浸透しているとも思えません。私自身、スタッフからは他の仕事を通してちょっと唖然とするような開き直りをこれまで聞いてきました。
それでも私は、彼らがこの「東北ルネサンスプロジェクトin仙台」でどのような仕事をなし得るのか、注目していました。彼らの理念はとてもすばらしいもので、応援したいからです。ところが、実際の講座は、当初の理念を達成できていると思えないものでした。
これらの講座に参加すると、有限会社荒蝦夷スタッフが会場の後ろにずらりと並んでいます。特に何かをしているようにも見えません。毎週のようにこんなことをやっていたら、確かに他の仕事はおろそかになってしまうでしょう。他の仕事の契約を軽んじても、昔からのつきあいである東北芸術工科大学にはスタッフを導入するその姿勢に、私は寂しさと悲しさを覚えるのです。司会進行もただ講師の略歴を述べ、会場から質問を募るだけ。誰でもできる仕事です。よりよい議論の場をつくろうという努力はまったく見られません。

つまり東北芸術工科大学が「東北ルネサンスプロジェクト」を推進することで、皮肉にもそれまで東北にあった編集文化の一部は、明らかにクオリティを下げ、衰弱してしまったのです。ただ講座をルーチンで取り仕切ることだけに労力がすべて持って行かれ、彼らが本来目指していたはずの豊かな東北芸術文化はむしろ被害を被りました。有限会社荒蝦夷は、結局のところ赤坂憲雄さんの下請け会社でしかなかった、その他の仕事には何の思い入れもなく、切羽詰まったら東北の編集文化の現場を投げ出してしまう脆弱さを抱えていた、ということが判明したわけです。そのような人たちが東北の編集文化などと唱えているこの矛楯は、喜劇ですらあります。では誰が勝利したか? 予算を獲得した東北芸術工科大学だけです。
毎回招聘している講師たちが、今後東北の文化との繋がりを持続させてゆくでしょうか。それらが有機的につながってゆくでしょうか。そういったことに対する主催者側の努力はなされているでしょうか。そのようには見えません。

「赤坂憲雄対論[東北・知の系譜]」で私は赤坂憲雄さんに、「いま本当に東北ルネサンスというのはあるのだろうか。あるとしたら、どのようなものか。赤坂さんはこのプロジェクトで何を目指すのか」と直接問い掛けました。しかし赤坂さんからのご返答は曖昧なもので、むしろ東北というこだわりを取り除きたいというお考えだったと感じています。対論にしてもその場のアドリブが重視され、全体の講座の理念などは二の次という印象でした。そもそも赤坂さん自身、「東北・知の系譜」というタイトルへの明確なヴィジョンをお持ちではなかったわけです。

昨日の山森さんのご講演「週刊誌をつくる」は、コンパクトにわかりやすくまとまったお話で、有用なものでした。週刊誌は個人の記事がつくるメディアである、というご指摘は特に示唆的で、重要であったと思います。
しかし、この「東北ルネサンスプロジェクト」は、ただ中央の作家や編集者を招いて、彼らの話を拝聴する、それだけでよいのでしょうか。地方の文化講演会はそういった性格のものが多く、そして聴衆もそれでほぼ満足してしまうものです。その意味では成功といえるでしょう。ふだんあまり聞かない話を聞いて啓発される、それだけでよいといえばよいのかもしれません。
ですが、「東北ルネサンスプロジェクト」が目指すものはそうではなかったはずです。いま主催者自身が最初の理念を忘れて、ただ中央の人を招聘して地方の人々に届ける、それで満足してしまいつつあります。本当にそれでいいのでしょうか。

仲間をつくること、そして中央の編集者ともつきあうこと、という山森さんのアドバイスは、これから中央ではなく地方の編集を担う若い人たちにとって有用だと感じました。また誰かにインタビューをするとき、怖いという感覚を忘れてはいけない、自分のことはすべて見通されるという感覚で臨むことを忘れてはいけない、というお話は、仕事の厳しさを伝えるものだったと思います。
また一方で、週刊誌をつくるために本当に必要な情報を持っている人は中央にしか存在しない、だから総合週刊誌は中央でつくられる、というご発言は、「いくつもの日本へ」という赤坂憲雄さんの理念に対して重要な一石を投じるものでした。
これらのアドバイスを、本当は主催者自身がいま謙虚に受け止めなければならない。

「東北ルネサンスプロジェクトin仙台」は、事務作業さえ混乱していることが見て取れます。開催スケジュールの告知ページは、ようやく一カ月前にできたという有様です。起ち上げ初期のころは、私が大学に直接問い合わせても要領の得ない答しか返ってきませんでした。
地方の文化活動って、こんなものなんでしょうか。

どのようにすればよいのか。
まず赤坂憲雄さんの「いくつもの日本へ」という数年前のスローガンが、いまでも有効であるのか、主催者側は自ら批判的に「東北ルネサンスプロジェクト」を推進する必要があるでしょう。赤坂さんと対談した限り、すでに赤坂さんは東北というこだわりを以前ほどは持っていないように見受けられます。その中で「東北ルネサンス」という表題を掲げることの意味は何かが問われます。
一方、東北ルネサンスプロジェクトへの出資者は、文字通り東北の文化発展を願っているのだろうと思います。ここに主催者側と出資者側の意識のギャップが生じています。あえて東北の文化にこだわらず、東北の人に刺激を与えるというだけのプロジェクトでも、それはそれで構わないと思いますが、それではふつうの文化講演会と同じ。出資者の要請に応えられているのか、主催者側は自己検証する必要があります。
実務を担当する有限会社荒蝦夷は、まずなによりも自社の体制を見直し、編集プロダクションとしてのクオリティ低下に歯止めをかけるよう努力するべきでしょう。中央から招聘した編集者と多くの議論をして、自らを啓発してゆくことを望みます。
本来「東北ルネサンスプロジェクト」は、理念のウェブサイトにも記されている通り、3つの講座だけでなく幅広い文化活動を目標としていました。講座に参加した人たちがこのような文化活動に関わり、そこから実際の編集・執筆を通して新しい文化を創出してゆく、そのような場をマネージしてゆくことが大切だと思います。講座に参加した人のアクションを支援できる東北の土壌を整備することです。講座をやりっ放しの現状では、とてもルネサンスとはいえません。

私は「東北ルネサンスプロジェクト」の理念を評価します。しかしながら、実際におこなわれているプロジェクトはお粗末なものだと感じるほかありません。今後の発展に期待するところですが、もっと参加者側からの意見を発信し、主催者側へ伝えてゆくことも大切だろうと思います。今後のプロジェクトの充実を願い、ここにひとつの批判として発信いたします。

*2007.10.15追記
ブログの読者の方から「東北ルネッサンスプロジェクトへのご批判というか叱咤激励されていることに、エールを送りたい」とのご感想が届いております。ありがとうございます。

*2008.1.25追記
関心の高いエントリーのようですので、続編のこちらにもリンクしておきます。
→「2007.12.1「仙台学vol.5」原稿
posted by 瀬名秀明 at 03:21 | TrackBack(0) | 読んで書く、書いて読む | 更新情報をチェックする
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