9/26は岐阜へ早稲田WABOT-HOUSE研究所を見学しに行ってきた。地方でのロボット開発のあり方について、いろいろと考える。大阪や福岡、北九州などともまた違ったロボットの未来がここにはあるような気がした。
9/27は渋谷のNHKで「視点・論点」の収録。基本的に編集なしで、時間も9分15秒と決まっているため、あらかじめ原稿を用意した。プロンプターに原稿を映しながら喋る。どうも俺はTV出演が苦手なのだが、なるべく今回は椅子に深く座り、両足を踏ん張って、背筋を伸ばすようにした。でもやっぱり、途中で数回とちってしまった。やっぱりアドリブを入れようとするとだめだね。今後の課題である。
読み上げた原稿を掲載しておく(実際の放送では、若干いいまわしを変更した部分もある)。タイトルはNHKがつけた。
【テレビ出演】NHK教育/2006.9.28(木)22:50-23:00/視点・論点/「人とロボットの共存社会」
【テレビ出演】NHK総合/2006.9.29(金)4:20-4:30(再放送)/視点・論点/「人とロボットの共存社会」
視点・論点「人とロボットの共存社会」
これから私は、百年後の人とロボットの共存社会についてお話ししたいと思います。
百年後というと、自分とは関係のない遠い未来の話だと思うかもしれません。ロボットと暮らすなんて不安だという人もいるでしょう。それを超えてゆく勇気の話をします。
鉄腕アトムの誕生日は2003年4月7日でした。ドラえもんの誕生日は2112年9月3日、いまから106年後です。今年生まれた赤ちゃんは、おそらく今後の医療工学技術の恩恵を受けて、ごくふつうに100歳以上まで生きるようになるでしょう。驚くかもしれませんが、今年生まれた子はドラえもんの誕生日に間に合うのです。
アトムとドラえもんには大きな違いがあります。アトムは正義の見方でしたが、孤独でした。アトムはたった一体のロボットであったために、お茶の水博士がロボットの家族をつくってあげたのです。一方、ドラえもんは、未来世界の量産型子守ロボットでした。のび太と一緒にごはんをたべて生活します。丸くて、柔らかそうなドラえもんは、とてもロボットとは思えないロボットです。私たちはすでに、アトムからドラえもんへの中間の時代を生きています。
アトムの誕生日を過ぎて、いま私たちはロボットとの共存社会の第一ステージにいます。周りを見渡してみて下さい。携帯電話が普及し、ユビキタス社会が訪れようとしていますが、まだまだロボットが作業しやすい社会だとはいえません。駅には階段があります。オフィスや家の中にはものが散らかっています。二本足で歩くロボットが入りこんできたら部屋も狭くなるし、倒れてきたら怪我をするかもしれません。だからいまのロボットは過酷な条件の下で働かなければならない。社会に入ってゆくことを目指すヒト型ロボットは、とにかく安全性を考えて、とても困難なハードルをクリアしようとしているわけです。
しかし自動車ができたら車道と歩道が区別されたように、私たちがもっとロボットと共に暮らしたいと思うようになったら、自然と身の回りのデザインも変わってゆくでしょう。ロボットと暮らすことを前提とした住宅やオフィスもできてくる。それが来るべきロボット共存社会の第二ステージです。
ここで心に留めておきたいのは、このような変化を促すのは、世の中の「ふつう」とはいったいどんなものであるべきなのか、と考える私たちの気持ちだということです。ロボットが暮らしやすい社会とはどのようなものでしょうか。それは自分が怪我をし、歳をとり、あるいは障害を持ったときのことを考えてみるとわかります。健康であることが「ふつう」である社会の見方とは別の、新しい「ふつう」が見えてくるはずです。障害を持つ人でも気持ちよく外を歩ける、スムーズに電車に乗れる、そんなデザインの町を考えてみてください。同じことがロボットとの共存社会にもいえます。人とロボットの共存社会の第二ステージは、私たちのこういった、「ふつう」への気づきから始まるのでしょう。社会の「ふつう」に対する気遣いが、新しい「ふつう」をつくり出すのです。
ロボットは今後、次の3つのタイプが共存しながら発展してゆくと私は思います。ひとつめはエンターテインメントです。ふたつめは、決してヒト型ではないけれど、社会の中で役に立つ機械たち。自動車の中にたくさんの半導体が入っていることをご存じでしょうか。ドライバーが快適に運転するために、自動車のコンピュータは常にサポートをしてくれています。でも自動車をロボットと呼ぶ人はいないでしょう。洗濯機や耕耘機も広い意味でのロボットといえます。今後は住宅そのものが自動化されてゆくでしょう。ひょっとしたらキッチン自体がロボットになって、パーティのときは動いて居間に来てくれるようになるかもしれません。
私たちはこれらのロボットと分担作業をすればいいのです。ひとつのロボットにすべてを任せようとすると、あれができない、これができないと欠点が見えてしまいますが、ここでのロボットは生活をサポートしてくれる道具なのです。遠くから遠隔操作だってできます。危険で繊細な作業、難しくて面倒な作業はロボットたちにお願いし、人間は臨機応変な判断を受け持つ。こう考えると、私たちの日常で活躍するロボットが、将来の看護ロボットや外科手術の支援ロボット、あるいは宇宙探査ロボットと同じ仲間であることがわかるでしょう。患者のいのちを預かるのはあくまで医師であり看護師です。ロボットは、そのよきサポーターになるのです。エンターテインメントロボットやコミュニケーションロボットは、その場にいる人たちを結びつけました。でもこのようなロボットは、人と人の結びつきの中で必要とされ、生まれてくる。ロボットは人を孤独にしません。
そして3つめは、人間のすごさを知るためのロボットです。ロボットが二足で歩くのを見て、「そうか、歩くってこんなに難しいことだったのか」と逆に驚いた人も多いことでしょう。ロボットをつくることで、人間の持つ何気ない能力の奥深さ、豊かさがわかってくる。ロボットと一緒に歩いてみたい、と思うお年寄りが増えるかもしれません。ロボットに驚くことは、人間の心と身体のすばらしさに気づくことです。今後は共感や感情移入といった人間の心の働きや、社会に適応し社会を変えてゆく能力も、ロボットを通じて解明されるようになるでしょう。
しかしそのようなロボットの夢は、ときに恐怖と紙一重になります。最近、サイボーグ技術が注目を集めています。失われた身体機能を補佐する意味で、サイボーグ技術は素晴らしいものです。しかし脳とコンピュータが直結されるようになったら、ためらう間もなくミサイルを発射し、敵を倒せるようになるでしょう。人間の機能を拡張させてゆくことは、超人思想へと繋がります。あるジャーナリストがいいました。サイボーグ技術によって、身体が動かせない人でも世界を破滅させられるようになったと。
しかし私はこのように返答したいのです。「なるほど、しかし身体が動かない人でも、その技術で世界を救えるようになりますね」
軍事ロボットの開発を抑えることはできないかもしれない。しかし私たちには、ためらい、気づかう心があります。今後、人によく似たロボットができてきたら、「じゃあロボットとは違う人間らしさってなに?」と思うようになるでしょう。21世紀はヒューマニティ・コンシャスの時代になるだろうと私は予想しています。その21世紀の日本で、人とロボットの共存社会に尊重されるべきものは、私たちの気遣いの心、ためらいの心なのです。技術は私たちからためらいを消し去るのではなく、本当に大切な場面で気遣いやためらいを取り戻させ、判断を私たちに任せてくれる信頼の装置であるべきです。
今年生まれた赤ちゃんは、22世紀を見ることになるでしょう。かつて作家の小松左京さんは、子供向けの小説本の中でいいました。「もしきみが大人になっても、ここに書かれているような未来ができていなかったら、そのときはきみたちでつくってください」と。
ロボットを、私たちのためらい気遣う心のサポーターであるととらえ、そのための技術を育てる勇気を持つこと。その勇気を子供に伝えてゆくこと。それによって、ドラえもんが生まれる106年後は、いまこの瞬間と繋がるのです。
(3002字)
瀬名秀明がゆく!東北大学機械系 *毎週金曜日更新
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瀬名秀明の課外ゼミ[flight]+東北大学キャンパス散歩
2006年10月03日
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