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2006年04月25日

サイボーグの「衝撃」とは何か

NHK総合で、「立花隆が探るサイボーグの衝撃」。立花隆氏と押井守氏の噛み合わなさが逆に面白かった。こないだの「脳を活かす」研究会の様子が映し出されていたが、講演者の中で見事に俺の存在だけがオミットされていた。「義体」という言葉は押井守氏の発案ではないこととか、原作者の存在とか、ちゃんと俺が講演で話したのだけれど、そういった事実関係もすっ飛ばされていた。まあいま考えてみると、立花隆氏と別の立場であの場で話ができたことは貴重だったのかもしれない。
「脳を活かす」研究会での立花氏の発表で、俺がいちばん印象に残ったのは、彼が最後に「これからは四肢切断された人でも世界を滅亡させることができるようになった」と、喜々として喋っていたことだ。少なくとも俺には喜々としているように見えた。自分と立花氏の違いが明確になった。
立花氏は以前から超人への憧れが強い人だと俺は思っている。『宇宙からの帰還』や『臨死体験』における神秘体験への傾倒もそういう文脈でとらえるとわかりやすいし、今回サイボーグ技術へこんなに入れ込んでいるのも、ちょうど彼の興味とぴったり合致したからだと考えることができる。そして彼は、軍事利用への危険性を人に問いかけるものの、自分では軍事利用の是非をいわない。おそらく彼にとって、人間の能力がどんどん拡大されてゆく世界は、とてもわくわくするような愕きに満ちた夢の世界なのだろうと思われる。ウェルズの描いたモロー博士の世界観と通じるものがある。しかし『モロー博士の島』のラストシーンを思い返した方がよい。
手が震える患者をBMI(ブレイン・マシン・インターフェイス)技術で制御する研究など、確かに映像で見せられると衝撃的だ。しかし10人に治療して10人すべてにその効果が現れるわけでもないと聞く。テレビ番組は、ひとつの成功例を見せることで、その背後にある別の結果をキャンセルしてしまう。別の結果があるのだという可能性さえ、人々の考えから奪い去ってしまう。この恐ろしさを研究者たちは実感しているはずである。だからこそ「脳を活かす」研究会の席で、研究者たちはとても慎重な言葉を選んでいたように思えた。科学ジャーナリズムは、実はその恐ろしさとどのように向かい合ってゆくのかという覚悟でもあるはずなのだ。
ひとつ気をつけておかなければならないことだが、「脳を活かす」イコール「サイボーグ技術」であると思ってはならない。「脳を活かす」研究会でも、BMIやサイボーグ技術だけではなく別の分野にも目を向けてほしいと訴えた研究者が複数いた。まったくもってその通りであり、NHKが煽り立てるこの状況に、いかに冷静な視線を獲得できるかが今後の課題となる。ロボットはホンダのP2以来、10年かかってようやく現実の問題へと一般の人々の気持ちを繋げることができたように思う。これからサイボーグは同じ経緯を辿るのだろうか。
さて、先に紹介した立花氏の発言に対して、俺が考えることは、6月刊行のケンイチくんシリーズの書き下ろし短篇にすでに示した。身も心もぼろぼろになったロボット学者ユウスケは、自らの身体をサイボーグ化してゆくことになる。しかし彼はサイボーグであることには喜びを感じない。彼の喜びは、インターフェースそのものの中にある。ブレイン・マシン・インターフェースという言葉の、インターフェースの意味を、NHK番組視聴者はこれから考えてゆく必要に迫られているのである。
posted by 瀬名秀明 at 00:00 | TrackBack(2) | 読んで書く、書いて読む | 更新情報をチェックする
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