<セクハラ>脳科学の教授を免職処分へ 北海道大学
たくさんのポピュラーサイエンス本を書き、一般からの人気があった人物である。しかし90年代後半から少しずつおかしな発言が目立つようになっていった。一時期持ち直したようにも見えたが、こういうことになるとは思いもしなかった。
実は俺にもこの科学者との共著がある。拙書に寄稿していただいた原稿そのものは読みやすく、まとまりのあるもので、批判されるべきところはないはずだが、彼を共著者に迎え入れることを発案したのは俺であるから、監修者としての責任は俺にある。
この科学者は、俺が今度講演する「『脳を活かす』研究会」の発起人のひとりでもある。研究会のウェブサイトには、設立の趣旨として次のような文章がある。
最近の「脳文化人」の出現は後者のタイプの神経倫理学を現代社会が強く求めていることを示しています。しかしながら、俗説をあたかも脳科学の裏付けがあるかのようにマスコミに流すことは、社会と脳科学に対する背信となります。
設立者メンバーのリストを見て、さまざまな思いを抱く人もいるだろう。俺自身、ニセ科学の片棒を担ぐ要注意人物として批判されることもある。ミトコンドリアは決して人を襲ったりはしない。それをあたかも本当のことであるかのように書く俺は、科学の混迷を招く人物である、という批判だ。俺にはそういった言説に対して反論があるが、すでにさまざまなところで述べているのでここでは繰り返さない。重要なのは、脳科学についてきちんとした情報を流そうと努力する人々さえも、明日はニセ科学の人だと糾弾される可能性があるということである。そして科学はその可能性を許容しなければならない。科学とは自己批判への信頼である。要は、自己批判を大切に、ということだ。
俺は最近、科学を語る者は、ひとつの教訓を持たなければならないと思うようになってきた。その教訓とは、科学を「正義の味方」だと勘違いしない、ということだ。自分が科学の側にいると、つい自分は正しいのだと思い込んでしまう。科学を正義の味方だと思い込んでしまう。科学は正義でも悪でもない。あえていえば、科学の方法論が信頼できるというだけのことだ。もし自分が正義のつもりでいるような科学信奉者が実在するとしたら、それはまるで自分が世界の警察だと勘違いしているような国と同じである。おそらく彼が欲しているのは正義の権力と賞賛だけで、決して科学そのものではないのである。
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